サン・ピエトロ大聖堂に行ってきた
そもそも
ローマ滞在記2022のスピンオフ。
サン・ピエトロ大聖堂は、4世紀コンスタンティヌス帝の下で聖ペテロ殉教の地に創建された世界最大の教会建築。16世紀にユリウス2世の下で再建が始まり、ブラマンテ、ラファエロ、ミケランジェロなど名だたる芸術家・建築家たちが設計に携わった。不安定な政情によって建設工事が長期化し17世紀に入ってようやく完成した。ローマの4大バシリカの一つで、世界遺産に登録されている。
14世紀にアヴィニョン捕囚によってそれまで本拠であったラテラノ宮殿が荒廃したため、ローマに戻った教皇が本拠をバチカンに移すことになり、そのまま現在に至る。その事実(教皇が住む・重要な宗教儀式が行われる)によってバチカンまたはサン・ピエトロ大聖堂がカトリック教会の総本山とされるが、現在もローマの司教座としての地位はサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂(ローマで教会巡り)が維持しているため、形式的にはサン・ピエトロ大聖堂は大聖堂ではなく、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂よりも地位が低いことになる。
外観
バチカン市国の外、東側から見たサン・ピエトロ大聖堂。
ベルニーニによって設計された楕円形のサン・ピエトロ広場。正面から見た聖堂の印象は、世界最大の聖堂の割にはかなり質素。ファサードの上部には、ペテロを除く11使徒にキリストと洗礼者ヨハネを加えた13体の彫像が並ぶ。広場中央にはローマ市内に13本あるオベリスクのうちの一つが。
広場を囲む列柱廊は、合計372本の石柱で構成されており、上部には合計140体の聖人彫像が配置されている。
クーポラ
というわけでクーポラに登ってみた。混雑を避けるために朝早くに行って列に並んだ。頂上まですべて階段(421段)で行くか途中までエレベーターで行くか選ぶことができたが、当然階段で行くことにした。9割方がエレベーターを待つ行列に並んでいたので、階段はかなり空いていて快適だった。
途中で見ることができるクーポラの内側。クーポラは主にミケランジェロが設計し、ジャコモ・デッラ・ポルタら後任の建築家によって完成したとされる。内側装飾はクーポラ完成から約10年後の17世紀初頭にカヴァリエーレ・ダルピーノ(ジュゼッペ・チェーザリ)らによって描かれたとされる。
聖堂内部を見下ろす。
クーポラ内側の回廊の壁に描かれている精妙なモザイク画。
クーポラはフィレンツェにあるサンタ・マリア・デル・フィオーレ(サンタ・マリア・デル・フィオーレに行ってきた)と同様の二重構造になっており(参考にしたっぽい)、その空間内の階段を登っていく。
登頂!バチカン市国を一望。サン・ピエトロ広場は上から見るとカッコよさ倍増。
聖堂の西側にあるバチカン庭園。
下りる途中、ファサード上部の彫像を間近に見ることができた。
聖堂内部
中央身廊。聖堂内部には11の礼拝堂と45の祭壇が置かれている。
ミケランジェロの傑作『ピエタ』。ミケランジェロが名声を確立するきっかけになった作品で、ルネサンス彫刻の最高傑作とされる。1972年に精神病を患う男がハンマーでピエタ像の一部を破壊するという事件があり、それ以来ピエタ像は防弾ガラスケースに守られている。
十二使徒の筆頭である聖ペテロのブロンズ像。13世紀にフィレンツェの建築家・彫刻家アルノルフォ・ディ・カンビオによって造られたという説が有力。像の両足は、信者が触ったり口づけしたりしたため磨り減っている。
聖堂の中央、クーポラの真下、聖ペテロの墓の真上に位置するバルダッキーノ(大天蓋)。サン・ピエトロ大聖堂の主祭壇。17世紀にベルニーニ(と他の彫刻家)によって制作された。4本の螺旋状の柱が特徴的で、圧倒的な存在感を放っている。
ベルニーニ作の聖ロンギヌス像。バルダッキーノの周りにクーポラを支える4本の角柱があり、その角柱それぞれに聖遺物が安置された祭壇と関連する聖人の彫像が配置されている。聖ロンギヌスは元々ゴルゴタの丘で十字架にかけられたキリストの脇腹に槍を突き立てたローマ兵とされる。
フランソワ・デュケノア作の聖アンデレ像。聖アンデレはロシア、ルーマニア、ギリシャ、スコットランドなどの守護聖人としても知られる。
バルダッキーノ後方のアプスに位置する聖ペテロの司教座。こちらもベルニーニ作。躍動感溢れすぎ。
スイス衛兵
バチカン市国とローマ教皇を護衛するスイス衛兵。16世紀初頭に教皇ユリウス2世がスイス傭兵を採用して常備軍を創設したのが起源。おしゃれすぎる制服は、ミケランジェロがデザインしたという伝説とは異なり、実際は20世紀にデザインされたもの。