フォロ・ロマーノを散策してみた
そもそも
ローマ滞在記2022のスピンオフ。
フォロ・ロマーノは、古代ローマ時代に国家の政治的・経済的・宗教的な中枢機能が集まっていた公共広場。紀元前6世紀にはすでに規模は東西に約300m、南北に約100mほど。紀元前6世紀にはすでに原型があったとされ、カエサルの共和政ローマ時代から帝政ローマ時代にかけて最も繁栄し現在も残る建造物の多くが建てられたとされる。3世紀以降ローマ帝国の衰退とともにフォロ・ロマーノも荒廃し、近代に再発見されるまで長らくその存在が忘れ去られていた。
フォロ・ロマーノ
カンピドリオ広場から眺めたフォロ・ロマーノの西端。ここが一番よくフォロ・ロマーノを見渡せる。左側に見える三本柱の遺跡は、フラウィウス家の栄光を称えるために建てられたウェスパシアヌスとティトゥス神殿の跡。右側に見える八本柱の遺跡は、共和政ローマ時代には国有財産の保管庫として使われていたというサトゥルヌス神殿。
中央の門は、クテシフォンの戦いに勝利したことを記念して建てられたセプティミウス・セウェルスの凱旋門。フォロ・ロマーノの外からこんなに近くで見ることができる。
チケットを購入してフォロ・ロマーノ内から眺めると、、、工事中で見づらすぎる。
左手前に見える列柱は1世紀に建てられたテンピオ・デッラ・パーチェ(平和の神殿)の跡。右奥に見えるのは共和政ローマ時代に元老院の会議が開かれていたというクーリア。現在の建物は20世紀に再建されたもの。
バシリカ・アエミリアの跡。西ゴート族による略奪や地震などによって破壊された。ちなみにキリスト教が存在する以前の「バシリカ」は裁判や商取引などの場として使われる公共施設だった。この「バシリカ」の建築様式が後にキリスト教の教会の建築に適用され、その結果「バシリカ」という言葉が宗教的な文脈で使われるようになっていった。
カストルとポルックス神殿の跡。紀元前5世紀から残っているというなかなかの古株。カストルとポルックスはギリシャ神話に登場する英雄でゼウスの息子たち。
アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿の跡。亡くなった妻ファウスティナを偲ぶためにアントニヌス・ピウス帝によって建てられた神殿。皇帝自身も死後に祀られた。神殿上部に十字架が見えるのは、中世以降にカトリック教会として利用されたため。
ウェスタ神殿の跡。ウェスタはローマ神話に登場する火または竈(かまど)の女神。
「巫女たちの家」の跡。ウェスタ神殿の聖火を見守る巫女たちの居住地だった場所。
パラティーノの丘。あとで行く。
マクセンティウスのバシリカの跡。4世紀初頭に建てられたバシリカで、現在残っているのは北側の側廊部分。写真では分かりにくいが、側廊部分の高さが約25mもある(身廊部分はさらに10m以上高かったとされる)巨大建造物。カピトリーニ美術館(カピトリーニ美術館で彫刻を堪能した)に展示されているコンスタンティヌス帝の巨大彫像が置かれていた。
ウェヌスとローマ神殿の跡。ウェヌスの神殿とローマの神殿が背中合わせになるように建てられているのが特徴的。ウェヌスは愛の女神で、ラテン語で「愛」は "AMOR"、これを逆から綴ると "ROMA"(ローマ)となり、名前も背中合わせになるという仕掛けらしい。
こちらがローマの神殿。西側またはフォロ・ロマーノ側を向いている。
こちらがウェヌスの神殿。東側またはコロッセオ側を向いている。
ティトゥスの凱旋門。1世紀にドミティアヌス帝によって、先代皇帝(で兄の)ティトゥスの戦功を称えるために建てられた。
パラティーノの丘から見下ろすフォロ・ロマーノ。パラティーノの丘は、ローマを建国した双子ロムルスとレムスが狼に育てられ、レムスを殺したロムルスがローマの最初の基礎を築いたとされる場所。共和政ローマ時代には貴族の邸宅が、帝政ローマ時代には皇帝の宮殿が建てられた、ローマ屈指の高級住宅街だったとされる。
ドムス・フラウィア。1世紀ドミティアヌス帝治世下に建てられた皇帝の官邸。
ドムス・アウグスターナ。1世紀ドミティアヌス帝治世下に建てられた皇帝の公邸。
スタディオン。1世紀ドミティアヌス帝治世下に建てられた競技場または庭園。
フォロ・ディ・アウグスト
紀元前1世紀にアウグストゥス帝によって建てられたフォロおよび神殿の跡。フォロ・ロマーノから道路一本挟んだ向かい側にある。
フォロ・ディ・トライアーノ
2世紀初頭にダキア戦争での勝利を記念してトラヤヌス帝によって建てられたフォロ。フォロ・ディ・アウグストのすぐ隣にある。半円形の建物は世界最古のショッピングモールとされるトラヤヌスの市場。