ペルゲ遺跡に行ってきた
そもそも
アンタルヤ滞在記2022のスピンオフ。
古代都市ペルゲは、紀元前にギリシャ人、ペルシャ人、アレクサンドロス大王、セレウコス朝、ペルガモン王国などの支配を経て、紀元前2世紀以降ローマの属州パンフィリアの中心都市として繁栄し、現在遺跡として残る大都市が築かれた。
ペルゲ遺跡で出土した彫刻などの多くはアンタルヤ考古学博物館に展示されている。詳しくはアンタルヤ考古学博物館に行ってきたにて。
ペルゲ遺跡へ
アンタルヤ旧市街から約1時間トラムに乗って東へ向かい最寄りのAksu駅に到着。駅からさらに約20分北へ歩いてペルゲ遺跡に向かう。道中に目にした住宅も学校の校舎も公園の遊具もかなり新しい。これが2020年代に経済成長する国の姿なのだろう。
ようやくペルゲ遺跡に到着。
当時の街を再現した模型。写真の右が北の方角。この模型がある遺跡への入口は左上の半円形の劇場のあたり。
入場料を支払っていざ入場。
遺跡発掘に活躍したという2台の重機。
入口から遺跡の中心部へしばらく歩いていく。
地図
聖堂
主祭壇がかろうじて原型を留めるキリスト教の聖堂。
アゴラ
市場や集会所として機能していたアゴラ(公共広場)。
アゴラの周囲に立ち並ぶ列柱。
中央列柱道路
ヘレニズム時代の城門からアクロポリスに向かって街の中心を南北に貫く中央列柱道路。
正面の丘がアクロポリスで、アルテミス神殿や聖堂などがあったとされる。
東西列柱道路との交差点。
交差点の東にあった門の礎石が残る。
西列柱道路
交差点を左折すると西列柱道路が続く。
連続する列柱はなかなか迫力がある。
ニンファエウム
西列柱道路の端にあるニンファエウム。ニンファエウムは古代ギリシア・ローマの泉の神ニンフ(ニュンペー)を祀る神殿。
イフィゲニアの犠牲
イフィゲニアの犠牲を題材としたモザイク。2017年に発掘されたばかり。
参考:1800-year-old mosaic found in ancient city of Perge
ヘレニズム時代の城門
紀元前3世紀のヘレニズム時代に創建された街の入口に位置する城門。ローマ時代に増改築されたものの、街に現存する最古の遺跡の一つ。セレウコス朝支配時代に築かれたと思われる。
ローマ浴場
保存状態が良く原型を留めているローマ浴場。数多くの彫刻がここから出土した。
ローマ時代の城門
ローマ時代に建てられた城門。
内側から。
外側から。
競技場
収容人数は1万人を超えていたとされる競技場。トルコで最も保存状態の良い競技場の一つで、入口部分のアーチも観客席も綺麗に残っている。前述の模型を見ると分かるが、競技場と劇場は街の城壁の外に建てられていた。
劇場
収容人数は1万人を超えていたとされる劇場。トルコで最も保存状態の良い古代劇場の一つで、観客席が綺麗に残っている。
演壇は、ギリシャ神話の酒の神ディオニュソスの生涯などが彫られたレリーフで装飾されている。
帰り道
帰りにトラム駅に向かって走っていたら、犬の目の前を横切ってしまい、その犬が追いかけてきた。走るのをやめたら犬も追いかけるのをやめてくれた。