ボスポラス海峡クルーズに乗船してみた
そもそも
イスタンブール滞在記2022のスピンオフ。
ボスポラス海峡を北上し中間地点で折り返すクルーズに乗船してみた。ちなみにボスポラス海峡を最後まで北上していくと黒海に入り、黒海沿岸には時計回りにブルガリア、ルーマニア、ウクライナ、ロシア、ジョージアがある。
ボスポラス海峡クルーズ
エミノニュのフェリー乗り場付近を徘徊していると、おじさんが大声でボスポラス海峡クルーズの客寄せをしていた。特に予定も無かったので飛び込みで乗船することに。約1時間の周遊でなんと60トルコリラ(約480円)だった。船は2階建てで1階に屋内席、2階に屋外席があった。船内には飲食物を販売する売店もあった。
相席
1階の屋内席があまり空いていなかったので、見た目40歳前後の2人の男性が座る席の対面に相席した。席に座ると男性の一人が英語で話しかけてきた。お互いに軽い自己紹介をして世間話が始まった。英語が話せるのはその一人の男性だけだった。聞くとその男性はウズベキスタンのサマルカンド出身で弁護士をしているという。「サマルカンド知ってるよ」というと驚くほど喜ばれて、色々話しているうちに仲良くなった。
しばらくしたところで景色を眺めるために2階の屋外席に移動した。ボスポラス海峡沿いには歴史的な建造物が多く見られる。
まずはドルマバフチェ宮殿。
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海鳥たちが餌を求めて並んで飛んでくる。
オルタキョイ
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7月15日殉教者の橋
2016年にエルドアン大統領に反抗する軍の一部が画策したクーデターが勃発し、その際にこの橋が封鎖され市民の犠牲者が出るなどして象徴的な場所になったことから、橋が現在の名前に改名された。
ルメリ・ヒサル
1452年にオスマン帝国のメフメト2世がビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを陥落させるために建設した要塞。
ファーティフ・スルタン・メフメト橋
ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを陥落させたメフメト2世の名を冠した大橋。この大橋付近で折り返し。
アナドル・ヒサル
14世紀末にオスマン帝国のバヤズィト1世がビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを陥落させるために建設した要塞。ルメリ・ヒサルの対岸のアジア側にある。
キュチュックス離宮
19世紀にアブドゥルメジド1世によって建設された夏の離宮。アジア側にある。
アジア側の住宅街
アジア側のおそらく高級住宅街。
巨大コンテナ船
突如現れたコンテナ船があまりにデカすぎて遠近感が狂う。
アジア側の住宅街その2
クレリ軍高等学校
この士官学校は、先述した2016年のクーデター以降閉鎖されていたが、2022年に再開されたらしい(誰得情報)。
アジア側の住宅街その3
ベイレルベイ宮殿
1865年にアブデュル・アズィズによって建設された夏の離宮。アジア側にある。
7月15日殉教者の橋その2
新市街の方へ戻ってきた。
乙女の塔
ボスフォラス海峡の小島に立つ塔。12世紀に創建されて以降、税関の監視塔、灯台、検疫所など、時代ごとに様々な施設として利用されてきた。現在は工事中だった。
チャイ
クルーズで凍えきった後に飲む熱々のチャイが最高に美味しかった。