イスタンブール滞在記2022
そもそも
2022年9月にイスタンブールに2回滞在した時の様子。
約4ヶ月間の欧州旅を終え、イスタンブールからトルコ紀行を開始した。トルコ紀行の旅程は、イスタンブール(4日)→アンカラ(4日)→イズミル(2日)→アンタルヤ(4日)→イスタンブール(4日)という感じだった。
イスタンブールは、古くから大国の首都として栄えてきた世界有数の都市で、トルコにおける経済・文化の中心地。人口は1500万人以上(国内第1位)。現地の人が言うには、人口が増えすぎてもはや実態は把握しきれていないらしい。街はマルマラ海と黒海を結ぶボスポラス海峡を挟んでヨーロッパ側とアジア側に分かれており、ヨーロッパ側の中心市街地は金角湾を挟んで北の新市街と南の旧市街に分かれている。旧市街にある歴史的建築群は「イスタンブール歴史地域」として世界遺産に登録されている。
イスタンブールは、4世紀から15世紀にかけてローマ帝国(末期)・東ローマ帝国(ビザンツ帝国)・ラテン帝国(ヴェネツィア商人率いる第4回十字軍が建国)の首都コンスタンティノープルとして栄えた。1453年にメフメト2世率いるオスマン帝国がビザンツ帝国を滅ぼすと、イスタンブールの名でオスマン帝国の首都となった。第一次世界大戦後のトルコ革命によってオスマン帝国およびスルタンが廃止され、1923年にアンカラを首都とするトルコ共和国が樹立されると、イスタンブールは首都および政治的中心の座からは退き、現在に至る。
スピンオフ
イスタンブールに到着
アテネから飛行機に乗ってイスタンブールのサビハ・ギョクチェン国際空港に到着。空港が市内からやたら遠いと思ったが、市内がやたらデカいだけかもしれない。
市街地へ
空港からバスに乗って宿泊地があるアジア側のカドゥキョイ(Kadıköy)へ向かう。空港から市内までのバスの運賃は30トルコリラ(約250円)だった。トルコリラが10年前からずっと下落しているだけあって、物価がかなり安く感じる。ヨーロッパからトルコに来たので尚更だった。
カドゥキョイ
カドゥキョイに到着。時刻は22時頃。カドゥキョイはアジア側のボスポラス海峡に面する地区。451年にカルケドン公会議が開かれた場所でもある。
宿泊地へ向かう。道端には犬だらけ。
宿泊地にチェックインして、さっそく街を散策する。
ここにも犬犬。
飲食店が並ぶ通りはかなり活気に溢れていた。
ちょっと路地に入ると雰囲気がガラッと変わる。
交差点にある雄牛像。この雄牛像、実は数奇な運命を辿った末にここに辿りついていた。19世紀にフランス人彫刻家イシドール・ボヌールによって制作され、最初はアルザス=ロレーヌ地方に置かれていた。アルザス=ロレーヌ地方がドイツに占領されると雄牛像はドイツのベルリンに移された。第一次世界大戦中にドイツから同盟国のオスマン帝国に贈られ、イスタンブールのユルドゥズ宮殿に置かれた。戦後にイスタンブールのヒルトンホテルに移され、1970年にカドゥキョイの旧市庁舎に移され、1990年にこの交差点に置かれ、現在に至る。
滞在中にBUFFALO BARBER SHOPという床屋で散髪した。英語が全く通じなかったのでノリで頼んだが、かなり上手に切ってもらえた。
フェリーで旧市街へ
カドゥキョイ港からフェリーに乗ってヨーロッパ側にある旧市街のエミノニュ(Eminönü)港へ。運賃は15トルコリラ(約120円)ぐらいだった。風も気持ちよくて景色も最高でフェリーに乗る体験そのものがテーマパークのアトラクションばりに楽しいのに激安だった。楽しすぎて何度も何度も乗船した。
夕方や夜にはまた違った景色を楽しめる。何度乗っても飽きない。
エジプシャンバザール
300年以上の歴史をもつ巨大バザール(市場)。かつては海外から輸入した香辛料が主に取引されるバザールだったとされ、スパイスバザールとも呼ばれる。現在はスパイスの他に宝飾品やお菓子や土産物が売られている。
アーケードの外にもバザールが無限に広がっており、お店と人で混沌とした雰囲気に包まれている。
スレイマニエ・モスク
16世紀後半にスレイマン1世によって建設されたモスク。設計はオスマン帝国最大の建築家ミマール・スィナンによる。世界遺産「イスタンブール歴史地域」を構成する歴史的建造物の一つ。
中に入り座ってぼーっとしていると、お兄さんがボランティアでモスクについて解説してくれた。毎週金曜日の集団礼拝時にはこの広いモスク内がいっぱいになるという。
前庭からは金角湾を一望できる。
スレイマン1世の墓廟。
スレイマン1世の皇后ヒュッレム・スルタンの墓廟。
バヤズィト広場
グランドバザールの西にある広場。イスタンブール大学の正門がある。
Sahaflar Çarşısı
グランドバザールの西門付近にある大量の古本屋が並ぶバザール。
グランドバザール
4000を超える店と60を超える街路で構成される世界最大級のバザール。トルコ語ではカパルチャルシュという。15世紀にオスマン帝国のメフメト2世によって建設されたのが始まり。
広大な上に迷路のようになっており、地図無しでは迷子必至。
街路によって店が扱う商品のカテゴリが異なる。
また別の入口から。荷物検査があったがほぼ機能していなさそうだった。
ガラタ橋
金角湾に架かる旧市街と新市街をつなぐ橋。19世紀に初めて開通して以降何度も再建されており、現在のガラタ橋は5代目。ガラタ橋は二階建てになっており、上階は車道と歩道、下階はレストランになっている。歩道ではいつもおじさん達が釣りをしている。一日中いても飽きない最もイスタンブールを感じられる場所。
ガラタ橋の上から眺める旧市街側。焼き栗や焼きトウモロコシの屋台も相まって、毎日お祭りかと思うぐらい活気に溢れている。
東京よりも大きい大都市のど真ん中でおじさん達が釣りしてるの最高すぎる。
バケツを覗くと魚がたくさん入っていたので、割とよく釣れるらしい。
レストランが並ぶ下階。風が強すぎてちょっと食べづらそうだった。
下階からは航行する船を間近に眺めることができる。
アラスタバザール
スルタンアフメット・モスクを背景に望むアラスタバザールの入口。
他の大きなバザールに比べて人通りも多すぎず、落ち着いた雰囲気だった。
スルタンアフメット広場
ローマ帝国時代に競馬場があった跡地に建設された広場。
4世紀末テオドシウス帝時代にエジプトから運ばれたオベリスクと、10世紀ビザンツ帝国皇帝コンスタンティヌス8世時代に建てられた切石積みのオベリスク。
スルタンアフメット公園
スルタンアフメット・モスクとアヤソフィアの間に広がる大きな噴水を備えた公園。
トルコの絨毯屋
スルタンアフメット・モスクに向かって公園内を歩いていると、すれ違い様に30代後半ぐらいの男性に「日本人か」と英語で話しかけられた。突然話しかけてくる人は基本的に怪しいので、構わずに歩いてくとわざわざ追いかけてきて「スルタンアフメット・モスクに行くのか。あそこは今絨毯を敷き替えてるからあと1時間は入れないぞ」と教えてくれた。20分ほど前にスルタンアフメット・モスクに入ろうとした時も閉まっていたので嘘ではなさそうだった。優良情報を教えてくれたのと「どこから来たのか」ではなく「日本人か」と聞いてきたのが気になったので、警戒しながらも少し話を聞くことにした。また「日本人だろ」と聞いてきたので「そうだ」と答えると「やっぱり」と言う。聞くと、その男性のお兄さんが日本人と結婚しているので日本人についてそれなりに知っているという。続けて「この近くで兄弟で絨毯屋を営んでいるので、よかったら遊びに来ないか」と言われた。トルコで絨毯屋といえばボッタクリで有名なので、あまりに典型的な状況すぎて笑いそうになったが、絶対に絨毯を買わされない自信があったのと、ちょっと面白そうだったのでお店に行ってみることにした。
お店に到着すると、そこにはちゃんとした陶器がズラリと並べてあった。また人通りが少なくない通りに面しており、入口の扉も透明で常に全開だったので、ひとまず大丈夫そうだった。
しばらく待っていると男性のお兄さんが日本語で迎えてくれた。日本語が達者だったので日本人と結婚しているのは本当らしい。少し話を聞くと、頻繁に日本とトルコを行き来しており、日本の大手百貨店に絨毯を仕入れているという。日本のトルコ絨毯業界でもそこそこ有名らしく、ネットで検索するとお兄さんの情報が出てきた。この時点で完全に疑いが晴れたので、紅茶もいただいて30分ほど家族や人生について色々とおしゃべりした。絨毯の素材となる羊の毛には夏毛と冬毛があり、それぞれに特徴があることなど絨毯についても色々と教えてもらった。営業トークも若干あったが、私が「国内外を転々としてるので家がない。つまり絨毯を敷く家自体がない」と言うと営業トークは一切無くなった。結果的にいい出会いだった。
スルタンアフメット・モスク
17世紀初頭にオスマン帝国第14代スルタンのアフメト1世によって建設されたモスク。別名ブルーモスク。巨大な大ドームといくつかの中小ドーム、そして世界で唯一の6本のミナレットで構成される。6本のミナレットを備えるモスクは世界唯一で、聖地メッカとメディナのモスクに次いで世界3番目に多い。内部は数万枚ものイズニックタイルやステンドグラスで彩られる。
修復工事の真っ最中で、内部は一応入れたが資材だらけだった。
アヤソフィア
4世紀、ローマ帝国末期にキリスト教の聖堂として建設されたのが始まり。その後何度か焼失や破壊を受け、6世紀の東ローマ帝国ユスティニアヌス1世の時代に再建されたのが現在残るアヤソフィアの原型。オスマン帝国時代に4本のミナレットが増築され、モスクとして改築された。トルコ共和国成立後、ケマル・アタテュルクの世俗化(政教分離)政策によって、聖堂でもモスクでもない宗教的に中立的な博物館とされた。ところが近年、反世俗主義的なエルドアン大統領の意向によって、2020年に正式に再びモスクとなった。世界遺産「イスタンブール歴史地域」を構成する歴史的建造物の一つ。
日中はとんでもなく長い行列ができていたので、夕方になってから入場。
ここで靴を脱いで下駄箱に。
どーん。
歴史を感じさせる重厚な内部建築と照明具合が相まって、幻想的で神秘的な雰囲気に包まれている。
中央上部のキリストのイコンは白い布で隠されていた。
出入口に残されているキリスト教の壁画。ここは隠さへんねや。
夜にも映えるアヤソフィア。
ちなみに歴史的建造物が集まる地区の周辺も普通に繁華街として栄えている。
テオドシウスの貯水槽
5世紀前半、西ローマ帝国のテオドシウス2世時代に建設された地下貯水槽。映画『インフェルノ』の舞台となった有名な貯水槽はイェレバタン・サライという別の貯水槽。
安っぽいプロジェクションマッピングのショーがあった。
ヴァレンス水道橋
4世紀後半、ローマ帝国末期のヴァレンス帝時代に完成した水道橋。この水道橋によって運ばれた水が、スルタンアフメット地区にある複数の地下貯水槽に貯められた。
ゼイレック・モスク
12世紀、ビザンツ帝国時代にキリスト教の修道院として建てられたのが始まり。オスマン帝国時代にイスラーム神学校、そしてモスクとして改築された。世界遺産「イスタンブール歴史地域」を構成する歴史的建造物の一つ。
エミノニュ地区の西に位置するモスク周辺地区は、生活感溢れる住宅街だった。
ミナレットが無ければ確かに修道院っぽいかも。
白を基調とした明るい内部。
他に誰もいないのもあって、めちゃくちゃ落ち着いた。
絨毯が捲られていて、おそらく創建当時の床らしきものが見えた。
テオドシウスの城壁
5世紀前半、西ローマ帝国のテオドシウス2世時代に建設されたコンスタンティノープルの西側を防御する城壁。世界遺産「イスタンブール歴史地域」を構成する歴史的建造物の一つ。
城壁の周りを散策していると、中年女性に英語で話しかけられた。「コンスタンティノープルの城壁はどこか」と聞かれたので「目の前にあるこれがそうだが、あそこの道路の向こう側に行くともっとよく見える」と教えてあげた。聞くとオーストラリアから来て一人旅しているとという。失礼ながらおそらく50歳以上で肥満体型でずっと息切れしててスマホのマップも使いこなせていない状態だったので、かなり心配だった。それで遠く離れた異国の地で一人旅できる勇気と行動力は賞賛に値する。
ポルフュロゲネトスの宮殿
テオドシウスの城壁に接するように建てられた13-14世紀のビザンツ帝国時代の宮殿跡。
宮殿の屋上から望むテオドシウスの城壁。
宮殿の屋上から望む金角湾と住宅。地平線ならぬ住宅地平線が果てしなく続く。1509年にイスタンブールで大地震があったらしいが、次地震が起きたら倒壊しそうで心配な建物ばかり。
アクサライ地区
旧市街の南西部に位置する地区。道ゆく人々の人種構成がガラッと変わり、生活感が満載で、ちょっと危険な雰囲気が漂っていた。
猫犬事情
イスタンブールは「猫の街」と言われるほど街中に猫が多く、街を歩いていると100mに1匹ぐらいの頻度で猫がいる。気ままに大冒険して腹が減ったら道行く人々が餌をくれて撫でてくれる。猫楽しそう。
大型犬がウロウロしていたり寝ていたりするのもよく見かけた。
その割には猫犬の糞をあまり見かけなかったのは不思議。
モスク事情
イスラム教では清潔であることが重要視されているため、モスクはどこでも例外なく丁寧に清掃されていて非常に綺麗で清々しい。またキリスト教の教会とは違っておどろおどろしい祭壇や偶像などがないので変に緊張感や威圧感を感じることがない。どことなく柔らかい雰囲気が漂っていて、すごく落ち着く。靴を脱いで上がるのも落ち着く理由の一つかもしれない。あと天井から吊るされる巨大なランプがカッコいい。トルコに来てからモスクがかなり気に入った。
モスクの近くまたは敷地内に身体を清めるためのウドゥ(洗い場)があり、無料のトイレ(綺麗)も併設されていることが多かった。ヨーロッパはトイレ事情が劣悪だったので、これはありがたかった。
礼拝の時間になるとアザーンという呼びかけがモスクのミナレット(尖塔)から大音量で流され街に響き渡る。何度も聞いていると意外と心地よい音色に感じるようになった。
交通事情
イスタンブールの公共交通機関は主にフェリー、バス、トラム、地下鉄。ヨーロッパと比べると、どの公共交通機関も近代的で清潔感があって時間通りに来るので割と快適。
フェリー
アジア・ヨーロッパ間の移動やボスフォラス海峡沿岸地区間の移動に重宝する。前述の通り、心地よい風と美しい風景を体験するアトラクションとしても楽しめ、運賃は100円台。街中や船内で売られているスィミットという40円ぐらいのベーグルをちぎって船外に投げると、餌を求めてフェリーに並んで飛ぶ海鳥たちが食べにくる。
バス
路線は多いが路線ごとの本数はそれほど多くないので、車内は割と混んでいることが多かった。渋滞と無謀な歩行者のせいで、バスが小刻みにブレーキとアクセル繰り返すのと、頻繁にクラクションが鳴らされるのが割とストレスだった。
トラム
観光客も含めると人口的に常に満員になりそうな気がするが、編成と本数が多いからか、身動きがとれないほど満員になることはほとんどなかった。
地下鉄
いわゆる先進国の大都市にある地下鉄となんら変わらなかった。むしろイスタンブールの地下鉄の方が新しくて綺麗なこともあった。ヨーロッパでも思ったが、車内でスマホを見てる人が比較的少なかった気がする。ボーッとするのが上手なのかも。