トプカプ宮殿に行ってきた
そもそも
イスタンブール滞在記2022のスピンオフ。
トプカプ宮殿はビザンツ帝国を滅ぼしたメフメト2世によって建設された宮殿で、19世紀にアブドゥルメジド1世がドルマバフチェ宮殿に移るまでオスマン帝国の王宮として機能した。複雑な構成の建物が世界遺産「イスタンブール歴史地域」を構成する歴史的建造物の一つ。
アフメット3世の泉亭
18世紀にアフメット3世によって建てられた泉亭(泉水のある屋敷)。アヤソフィアとトプカプ宮殿の入口の間にある。
泉亭前から眺めるアヤソフィア。
帝王の門
帝王の門からいざ宮殿内へ。
帝王の門を抜けると、第一中庭が広がる。第一中庭までは一般市民が入ることが許されていたという。
アヤ・イリニ聖堂
4世紀ローマ帝国のコンスタンティヌス大帝時代に創建されたキリスト教の聖堂。6世紀に一度焼失し、東ローマ帝国ユスティニアヌス1世の時代に再建された。オスマン帝国時代には武器庫として利用されていた。イスタンブールに現存する最古の教会で、モスクに転用されずに残る貴重なビザンティン様式の聖堂。
主祭壇はこのぐらいシンプルな方がよっぽどかっこいい。
挨拶の門
宮殿は二重の城壁で囲まれており、第一中庭を抜けると今度は挨拶の門が待ち構える。
挨拶の門を抜けると、今度は第二中庭が広がる。第二中庭には、宰相や高官が政治を行う会議場、財務省、イェニチェリの兵舎、キッチンなどがあった。
キッチン(陶磁器博物館)
第二中庭の東側にあるキッチンエリア。
東ローマ帝国時代に建てられた建造物の柱の一部。
キッチンだった建物は現在、陶磁器博物館として利用されている。
トルココーヒーを飲むための道具一式。
その他カトラリーや食器など。
財務省(武器博物館)
財務省だった建物は現在、世界有数のイスラム武器コレクションを誇る武器博物館として利用されている。
正義の塔
正義の塔を備えた建物は、宰相や高官が国政を行う会議場だった。スルタンは会議には直接参加せず会議の様子を覗き見していたという。
天井ドームの装飾が半端ない。
幸福の門
スルタンのプライベート空間である第三中庭へと通じる幸福の門。
アフメット三世の図書館
18世紀にアフメット3世によって建設された図書館。
聖遺物館
イスラム教の預言者達に関連する聖遺物を保管する建物。その扉。
第四中庭
宮殿の最奥に位置する第四中庭からはボスポラス海峡を一望できる。
バーダット・キョシュク
第四中庭に建てられているキョシュクと呼ばれる邸宅の一つ。
内部のタイル装飾は圧巻。
ハレム
ハレムは、スルタンの母后、正妃、側室、幼少の王子や王女、そして世話係の侍女や宦官が住んでいた場所。最盛期には1000人以上もの女性が住んでいたとされる。ハレムに暮らす女性は戦争捕虜や人身売買によって連れてこられたとされる。スルタンからの寵愛を巡って女性たちが権謀術数を繰り広げる、まさにトルコ版大奥だった。
側室の生活空間
警備隊の詰所
通路
黒人宦官のモスク
聖地メッカのモスクが描かれている。
聖地メディナのモスクが描かれている。
聖地アラファト山が描かれている。
ハマム
スルタンの広間
スルタンの御前で女性たちが音楽や舞踊を披露したという広間。宮殿内で最も豪華絢爛な装飾が施されている。
ムラト3世の広間
16世紀にムラト3世が天才建築家ミマール・スィナンに設計させた広間。
壁全面を覆うイズニックタイルは圧巻。
ギュルハネ公園
トプカプ宮殿の西側に隣接する公園。かつてはトプカプ宮殿の外庭の一部だった。
本のような謎の建造物があった。