アンカラ滞在記2022
そもそも
2022年9月にアンカラに滞在した時の様子。
アンカラはトルコの首都で、中央アナトリア地方に位置する都市。人口は約350万人(国内第2位)。第一次世界大戦後のトルコ革命によって、イスタンブールを首都とするオスマン帝国およびスルタンが廃止され、1923年にアンカラを首都とするトルコ共和国が樹立された。市街中心部は、オスマン帝国時代以前に遡る歴史をもつ旧市街と、トルコ共和国樹立以降に発展した新市街から構成されている。郊外には第二次世界大戦後の経済発展によって農村から流入した人々が建てた不法建築ゲジェコンドゥが広がっている。
スピンオフ
アンカラに到着
イスタンブールから飛行機に乗ってアンカラのエセンボーア国際空港に到着。
到着後の空港にて "Weapon Delivery" という標識があった。怖えよ。あと直進の標識が上向き矢印ではなく下向き矢印だった。
市街地へ
空港からバスに乗って市街地へ向かう。運賃は27トルコリラ(約200円)だった。
車窓は、まさに遊牧騎馬民族が生活してそうな高原という感じだった。広い高原に近代的な建物が点在していて、街のあちこちにあるモスクもカプセルハウスっぽくて、『ドラゴンボール』の世界観を感じた。
バスターミナルに到着。ここから地下鉄でホテルへ。
ホテル
旧市街地区周辺にあるホテルにチェックイン。景色の良い綺麗なダブルルームに朝食ビュッフェも付いて1泊4000円だった。夜にバスルームで上階からの水漏れがあり、フロントに伝えるとすぐに部屋を変えてもらえた。1泊1万5千円以上するダブリンの牢獄みたいなホステルに比べると天国だった。
ローマ浴場跡
ローマ帝国時代、カラカラ帝によって建設された浴場跡。トルコはアレクサンドロス3世やローマ帝国に征服されていた時代があるため、古代ギリシャ時代やローマ帝国時代の遺跡や文化財が各地にある。
ストリートビュー
ハジュ・バイラム・モスク
15世紀オスマン帝国時代に建てられたモスク。後世に再建された。
イスラーム教では清潔であることが重要視されているため、モスクはどこでも例外なく丁寧に清掃されていて非常に綺麗で清々しい。
ハジュ・バイラム・モスクの目の前にあるアウグストゥス神殿跡。1世紀にアウグストゥス帝によって建てられた。
4世紀にローマ皇帝ユリアヌスがアンカラを訪れた際に建てられた記念碑。
ハジュ・バイラム・モスク周辺に広がる街並みは、かつての旧市街を復元したもの。景観がなんとなくカナダのウィスラーや韓国ソウルのプクチョンっぽい
アンカラ城
紀元前から様々な時代に様々な民族や国家によって使われてきた要塞。
アンカラ城へ登っていく道中にあるローマ劇場跡。
どんどん登っていく。
どんどん登っていく。
城壁内へ。
アンカラ城の周りに広がる街並み。
年季入りすぎてボロボロの家々も。
頂上に到着。頂上からはアンカラの全景を楽しむことができる。
さすが大都市だけあって地の果てまで居住区が広がっている。
バザール
アンカラ城の西側に広がるいくつかのバザール(市場)。どこのバザールも活気があってめちゃくちゃ楽しい。
Çıkrıkçılar Ykş.
Sobacılar Çarşısı
Suluhan Çarşısı
Anafartalar Çarşısı
クズライ地区
市街地南側に位置するアンカラ随一の繁華街。東京の渋谷みたいな場所。
コジャテペ・モスク
1987年に完成した巨大モスク。礼拝の時間になるとアザーンという呼びかけがこのモスクのミナレット(尖塔)から大音量で流され、街に響き渡る。何度も聞いていると意外と心地よい音色に感じてくる。
美しい幾何学模様の装飾が施された広ーい内部。
アタテュルク廟
トルコ共和国初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクの霊廟。アタテュルクは「父なるトルコ人」を意味する。
第2代大統領イスメト・イノニュの墓碑。
アタテュルク廟の内部。
北へ続く道。この道を歩いていると突然立ち入り禁止になり、広場に戻るよう言われた。待っていると何らかの式典が始まった。
廟内も立ち入り禁止になり、兵士たちが整列している。
白い兵士たちが運ぶものにトルクメニスタンと書いてあったが、なんの式典だったのかは不明。
式典が終わり先ほどの道を歩いていくと小さな建物があり、中ではアタテュルクにまつわる展示がされていた。
同じくトルコ革命および独立戦争にまつわる展示をする博物館も併設されていた。
アンカモール
市街地西側に位置する巨大ショッピングモール。
ハマモニュ地区
ハジュ・バイラム・モスク周辺地区と同じく、復元された綺麗な旧市街。
メリケ・ハトゥン・モスク
2017年に完成したばかりの巨大モスク。
ウルス駅周辺
旧市街の南に位置するウルス駅周辺エリアを散策。
ゲンチリッキ公園
アンカラ駅
アンカラアリーナ
アンカラ19マイス・スタジアム
ムスタファ・ケマル・アタテュルク像
Başkent Millet Bahçesi
緑豊かな巨大公園。公園内を歩く人はなぜか全然いなかった。
交通
交通民度はヨーロッパとほぼ同じという印象。歩道がガタガタでも小さい子供たちが意外と転ばないのはたくましさを感じた。
命懸けで赤信号を渡る人々は何度も見かけた。
謎の青年二人組
アンカラの地下鉄に乗るのに交通カードが必要で、その交通カードに運賃をチャージしていると、おそらく20歳前後の青年二人組に片言の英語で話しかけられた。どうやら交通カードを持っておらず地下鉄に乗れないので交通カードを使わせてほしいとのこと。ちなみに駅には乗客は私と青年二人しかいなかった。めちゃくちゃ怪しかったので最初は断り、改札にいた駅員さんに助けてもらうよう伝えると、駅員さんには既に伝えてあるというので、念の為改札にいた駅員さんに確認するとどうやら嘘ではないらしい。まあ最悪交通カードを取られても被害額はせいぜい200円程度だったので、交通カードを使わせることにした。OKと言うと青年が現金10トルコリラ(本当はちょっと足りない)を渡してきたので、その現金をチャージした。私がピッとして改札を通り、改札の向こう側にいる青年にカードを手渡し、青年も同じようにしてもう一人の青年に手渡して、無事全員が改札を通った。ちなみに駅員さんはそれを目の前で見ていたので、別に違反ではないらしい。何事もなくてよかった。あの二人組はなんだったんだ。
その他
イスタンブールよりも女性のヒジャーブ(スカーフ)着用率が明らかに高かった。さすがイスラーム保守派が強いだけある。
地下鉄などで金属探知機鳴りまくってるけど一度もチェックされなかった。
街ゆく人々の肥満率と喫煙率が高かった。
昼と夜の寒暖差が10度以上あった。さすがド内陸。
英語は9割方通じなかった。
感想
イスタンブール滞在中に現地の人何人かに「次はアンカラに行く」というと全員口を揃えて「アンカラには何もないぞ」と言っていたが、普通にめちゃくちゃ色々あって楽しかった。
参考書籍
古代メソポタミア全史 シュメル、バビロニアからサーサーン朝ペルシアまで