ローマで浴場跡を巡ってみた
そもそも
ローマ滞在記2022のスピンオフ。
ローマにある代表的な浴場、トラヤヌス浴場、カラカラ浴場、ディオクレティアヌス浴場の跡をを巡ってみた。
ローマの公衆浴場について
ローマの公衆浴場は、漫画『テルマエ・ロマエ』で知られるように「テルマエ」と呼ばれ、浴場だけでなく運動施設や図書館や食堂なども備えた複合施設だったとされる。身分や貧富に関係なく入浴でき、ローマ市民の社交場としても機能していたという。浴場は、カルダリウム(高温浴室)、テピダリウム(微温浴室)、フリギダリウム(冷水浴室)を中心として設計され、その他にアポディテリウム(脱衣所)、ウンクタリウム(塗油・マッサージ室)、スダトリウム(スチームサウナ)やラコニクム(ドライサウナ)、ナタティオ(プール)などがあったとされる。現代の健康ランドと何ら遜色ない。
トラヤヌス浴場
2世紀初頭にトラヤヌス帝の命によって建設された公衆浴場。コロッセオに程近いオッピオの丘に位置する。トラヤヌス帝に仕えていたダマスカス出身の技師アポロドーロスによって設計された。6世紀に侵攻してきたゴート族によってローマの水道機能が破壊されると機能を失い放棄された。実際に行ってみるとトラヤヌス浴場跡周辺は人気が少なく浮浪者の生活の場となっていた。
カラカラ浴場
3世紀初頭にカラカラ帝の命によって建設された公衆浴場。ローマ市街地の南端に位置する。6世紀に侵攻してきたゴート族によってローマの水道機能が破壊されると機能を失い放棄された。世界遺産に登録されている。
カラカラ浴場の全体図。
カルダリウムがある南西側。
フリギダリウム。
南東側パレストラ(運動場)にあるモザイク画の断片。
同じく南東側パレストラにある復元された美しいモザイク床。
カラカラ浴場が建設される約100年前、ハドリアヌス帝時代にこの地にあった住宅に描かれたフレスコ画。
ディオクレティアヌス浴場
3世紀末から4世紀初頭に建設されたローマ帝国最大の公衆浴場。現在はローマ国立博物館の一部、また16世紀に建設されたサンタ・マリア・デランジェリ・エ・デイ・マルティーリ聖堂(ローマで教会巡り)の一部になっている。
ローマ国立博物館の広大な中庭とミケランジェロの回廊。
ディオクレティアヌスの浴場跡(を利用した展示室)。
ナタティオだった場所。
第十の間。
プラトリーニ家の墓の再現。