ピサ滞在記2022
そもそも
2022年7月にピサに日帰り旅した時の様子。
ピサはトスカーナ州ピサ県の県都。人口10万人弱。フィレンツェから鉄道で約1時間。地中海に面しており、9世紀頃から海洋都市として軍事的にも商業的にも発展し、ジェノヴァやヴェネツィアとともに地中海の覇権を握った。13世紀末にジェノヴァに敗北し、15世紀初頭にフィレンツェに征服され、トスカーナ第一の港の地位もメディチ家が建設したリヴォルノに奪われると、軍事的にも商業的にも衰退していった。一方でピサ大聖堂やピサ大学の存在によって文化的な中心地としての重要性は維持された。
漫画『チェーザレ 破壊の創造者』では、ピサが重要な舞台として度々登場した。その聖地巡礼も兼ねていた。
ピサ中央駅
ストリートビュー
ピサ中央駅周辺からアルノ川までつなぐショッピング通り(Corso Italia)。
一本路地に入ると中世の趣。
Logge dei Banchi
メディチ家の下で活躍したベルナルド・ブオンタレンティによって1603-1605年に建てられたロッジア。
アルノ川
ピサ中心部を流れるアルノ川。フィレンツェのアルノ川沿いより整備されていて美しい。左側手前の緑色の建物は14世紀にピサを統治していたガンバコルティ家の宮殿(Palazzo Gambacorti)で、現在は市役所が入っている。
メッツォ橋。第二次世界大戦で破壊され後に再建された。
ソルフェリーノ橋からの景観。右側に見える小さな教会はサンタ・マリア・デッラ・スピーナ教会。13世紀に遡る歴史をもつゴシック様式の教会。
サン・ニコラ教会
アルノ川を北に渡ったところにあるサン・ニコラ教会。11世紀に遡る歴史をもち17世紀に再建された。八角形の鐘楼にはピサの斜塔と類似する特徴(外側のアーチと柱など)が見られる。
Palazzo della Sapienza(ピサ大学)
ピサ大学は1343年に設立された、ヨーロッパまたはイタリアで最も古い大学の一つ。ピサがフィレンツェに征服されて以降メディチ家の下で整備され学術機関としての権威を高めた。チェーザレ・ボルジアやガリレオ・ガリレイなどがピサ大学で学んだ。"Palazzo della Sapienza"は15-16世紀に建てられたピサ大学の中心的・象徴的な建築。現在の建物は20世紀に再建されたもの。『チェーザレ 破壊の創造者』でも度々登場した。
サン・フレディアーノ教会
11-12世紀にロマネスク様式で建設され、後に一部再建された教会。
カヴァリエーリ広場
ドゥオーモ広場に次ぐ街の中心的な広場だったカヴァリエーリ広場。正面の建物は16世紀にジョルジョ・ヴァザーリによって再建されたルネサンス様式の建物。現在は19世紀初頭にナポレオンによって設立されたピサ高等師範学校の本部がある。
ドゥオーモ広場
ピサ大聖堂とその関連施設が集まるドゥオーモ広場。世界遺産に登録されている。みんなピサの斜塔を支えようと必死。
ドゥオーモ広場はさながら城のように城壁に囲まれている。
サン・ジョバンニ洗礼堂
12-14世紀に建てられたロマネスク様式とゴシック様式が混在した洗礼堂。外周が100m以上あり洗礼堂としては世界最大の規模を誇る。
シンプルで美しい内部。
西側から見た洗礼堂。1枚目の写真と見比べると、西側の屋根にだけオレンジ色の瓦がついていることがわかる。当時資金不足だったので西側(海側)にだけ瓦をつけたらしいがホンマかいな。
ピサ大聖堂
11-13世紀にパレルモ沖の海戦でピサの艦隊がイスラームの艦隊に大勝したことを記念して建てられたロマネスク様式の大聖堂。個人的に最も好きな大聖堂。
内部身廊。ビザンティン建築やイスラーム建築の影響が随所に見られる。すべてが美しすぎる。
列柱廊。重さを分散することで外壁の厚さを減らすのに貢献している。
美しすぎる天井。ガリレオ・ガリレイが「振り子の等時性」を発見したきっかけになったとされるランプ(後世の逸話の可能性あり)とリミナルディ兄弟による『聖母被昇天』。
美しすぎる主祭壇。アプスの巨大なモザイク画はゴシック絵画の巨匠チマブーエ作。
主祭壇の反対側、ファサードの内側。
14世紀初頭にジョヴァンニ・ピサーノによって制作された説教壇。柱にはギリシャ神話の英雄テラモーンやヘラクレスなどが彫られている。多神教を前提とするギリシャ神話をモチーフにした説教壇が、一神教を前提とするキリスト教の大聖堂に置かれていることは特筆すべき。『チェーザレ 破壊の創造者』にも登場する。
ピサの守護聖人聖ラニエリに捧げられた礼拝堂。聖ラニエリの遺体が安置されている。
神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世の墓碑。ルクセンブルク家大躍進の立役者。カール4世の祖父。イタリア遠征中にピサで没した。皇帝派と教皇派の対立が激しかった当時のヨーロッパの情勢を考えると、ピサが皇帝派の都市だったとはいえ教皇管轄下の大聖堂に皇帝の墓碑が安置されたことの奇妙さが分かる。この辺りは『チェーザレ 破壊の創造者』第7巻に詳しい。
ピサの斜塔
12-14世紀に建てられたロマネスク様式の鐘楼。思ってた以上に傾いていた。
ただただ美しい。
一応8階建てだが内部は空洞。
300段弱の階段を登ると屋上に辿り着く。階段が凹んでいる。登るときにちゃんと傾斜を感じる。
ピサの街並みを一望。統一感のあるオレンジ屋根が一面に広がる。
上から大聖堂と洗礼堂。
カンポサント
ドゥオーモ広場北側にある、13-16世紀に建てられた回廊と中庭付きの墓所。回廊の壁一面は14世紀に描かれたフレスコ画で覆われていたが、その多くが第二次世界大戦の空襲で消失した。現在もその修復作業が行われている。
ブオナミーコ・ブッファルマッコ『最後の審判と地獄』
中庭。
Museo delle Sinopie
カンポサントのフレスコ画の下絵(シノピア)を展示する博物館。
Museo dell'Opera del Duomo
大聖堂や洗礼堂にあった品々を展示する博物館。
ボナンノ・ピサーノ『サン・ラニエリの門』(12世紀末頃)。元々大聖堂の右翼廊にあった門。
堂々たる出立ちの『ピサのグリフィン』。イスラーム圏で制作され11-12世紀頃にピサに渡ったものとされる。イスラーム美術のブロンズ像の中でも特に傑作とされる。
ピサ大司教邸
ドゥオーモ広場から東に歩いてすぐのところにあるピサ大司教邸。『チェーザレ 破壊の創造者』にしばしば登場する舞台で、ラファエーレ・リアーリオ大司教の下でチェーザレ・ボルジアが暮らしていた。