ミラノ滞在記2022
そもそも
2022年7月にミラノに滞在した時の様子。
ミラノはロンバルディア州の州都で、イタリア経済の中心地。人口約140万人(京都市と同じくらい)。プラダ、ジョルジオ・アルマーニ、ドルチェ&ガッバーナなど日本でも有名なファッションブランドの創業地として知られる。
スピンオフ
ミラノ中央駅
ヴェネツィアからミラノに到着した時の様子。人だらけ。
駅舎は美術館かと思うぐらい重厚かつ洗練されたデザインがあしらわれていた。
駅内に中央市場もあった。
ドゥオーモ(ミラノ大聖堂)
14世紀に建設が始まり19世紀に完成したというゴシック様式の大聖堂。イタリアの教会としてはバチカンのサン・ピエトロ大聖堂に次ぐ広さだという。
ドゥオーモ広場とドゥオーモ。
ドゥオーモの向かいにあるイタリア王国初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像。鳩たちに愛されている。
内部身廊。どこもかしこもゴシックゴシックしている。
側廊。柱一本一本が巨木のようにそびえ立っている。
地下にはローマ時代の遺構が残る。
屋上にも出ることができる。いかにも屋根の上という感じ。
ドゥオーモ最大の特徴とも言える大量の尖塔(もれなく聖人付き)を間近に見ることができる。
飛行船を確認。クラッシュ・バンディクーのコルテックスの飛行船を思い出す。
聖人と聖人の間から臨むミラノの街並み。
ドゥオーモの後ろ側はこんな感じ。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア
イタリア王国初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の名を冠した19世紀後半に建てられたアーケード。ドゥオーモ広場のすぐ北側にある。
プラダ本店など高級ブランド店が軒を連ねる。
アーケードを抜けると、レオナルド・ダ・ヴィンチ先生の像。レオナルド先生は1482年から1499年までミラノ公国で活動していたとされ、ミラノには先生の名を冠した施設が多々ある。
メルカンティ広場
ドゥオーモ広場の西側にある広場。中世にはこの広場が街の中心だったらしく、赤レンガ造りの建物はかつての裁判所だという。
ダンテ通り周辺
ドゥオーモ広場からスフォルツェスコ城へ向かうショッピング通りの様子。道が狭い割に車やら路面電車やら交通量が多めだった。
スフォルツェスコ城
元々は14世紀にヴィスコンティ家が建造した城塞で、15世紀にミラノ公となったスフォルツァ家が改築を施した。
いかにも頑強そうな城壁に囲まれている。ゲームに出てくる中世の城塞という感じ。
入城後に中庭から見た中央の城門。確かに見張りしやすそう。
内側にも見張り塔が。鉄壁かよ。
城内見学する前に併設のカフェにて、クロワッサンとカプチーノ。
城内はアンティーク家具や楽器に特化した美術館など、10もの博物館や美術館で構成されており、かなり広かった。閉鎖していたエジプト館以外は全て回ったが、なぜか写真をほぼ撮っていなかった。
その名もロンダニーニのピエタ美術館にて、ミケランジェロの『ロンダニーニのピエタ』。ミケランジェロが晩年に(89歳まで)制作していたとされる未完の彫刻。
Arco della Pace(平和の門)
スフォルツェスコ城を北に抜け、さらにセンピオーネ公園を北に抜けると見えてくる新古典主義様式の門。元々ナポレオン治世下で凱旋門として着工したが、ナポレオン失脚後はオーストリア・ハプスブルク帝国下で平和の門として建設されることになった。右下で門を必死に押している像があった(多分アート)。
ブレラ美術館
北イタリアのルネサンス絵画を中心に展示しているミラノ随一の美術館。18世紀にロンバルディアを統治していたハプスブルク家のマリア・テレジアが、この建物に美術アカデミーを設立したのが始まり。その後ナポレオン統治時代に、統治領域の教会などから収奪した美術品を収容する美術館として整備された。
同建物内にある美しい国立図書館。
ベッリーニ兄弟『アレクサンドリアでの聖マルコの説教』(1504-07)
ヴィンチェンツォ・カンピ『果物売り』(1578-81)
フランチェスコ・グアルディ『カナル・グランデ』(1756-60)
ナヴィリオ・グランデ運河
中世に水運や灌漑のために使われたナヴィリオ・グランデ運河の名残。水鳥が気持ちよさそうに泳いでいた。
ホステルで出会った人々
ソフトウェアエンジニアをしているというオランダ人男性。「自分は内向的だから」と言いながら部屋に入ってきた人全員に片っ端から声をかけていた。
ソフトウェアエンジニアをしているというドイツ生まれのノルウェー人男性。ノルウェーの夏は別荘で過ごす人が多いと教えてくれた。
話始めると止まらないオーストラリア人女性。一切聞いてもいないのにここに辿り着くまでの道程を全て教えてくれた。
自称皮肉屋のカナダ人男性。皮肉全開トークを繰り広げていた。