リスボン滞在記2022
そもそも
2022年8月にリスボンに滞在した時の様子。
リスボンはポルトガルの首都で大西洋に注ぐテージョ川の河口に位置する港湾都市。人口は約50万人。
紀元前800年以前にフェニキア人が築いた集落が街の起源とされる。紀元前1世紀頃にはローマの属州ルシタニアの一部となった。その後ゲルマン民族の支配を経て、8世紀初頭にイスラーム国家ウマイヤ朝に支配され、以後400年以上イスラーム勢力の支配下に置かれた。12世紀にレコンキスタによってキリスト教勢力の支配下に置かれ、13世紀にはポルトガル王国の首都となった。
15世紀にポルトガル王国の皇太子エンリケの下でリスボンは海外進出の拠点となり、それ以降ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓によってアジアとの香辛料貿易が活発化したり、カブラルのブラジル到達によって新大陸との貿易が活発化したりして、リスボンは黄金期を迎えた。16世紀後半以降はポルトガルがスペインに併合され独立を失ったり、世界貿易の中心がイギリスやオランダなどの新興勢力に移ったりして、ポルトガルおよびリスボンの立場は次第に後退していった。1755年にリスボン大地震が発生し、当時ヨーロッパ有数の大都市であったリスボンは壊滅的な被害を受けた。
スピンオフ
リスボンに到着
バルセロナから飛行機に乗ってリスボンに到着。フライトが3時間ぐらい遅延してホステルに到着したのは深夜0時頃。空港と市街地が比較的近くて幸いだった。
バイシャ地区
市街地の中心に位置するバイシャ地区。1755年のリスボン大地震で壊滅し、近代的な都市計画のもとで再建された。
バイシャ地区の中央を貫くアウグスタ通り。
街の風景を彩るケーブルカーはいつ見ても満席。
コメルシオ広場への入口に立つ立派な門。
コメルシオ広場
リスボン大地震後に再建された広場。リスボン大地震以前はポルトガル王国の王宮リベイラ宮殿があった。コメルシオ広場を囲む建物には政府系機関がいくつか入っている。
中央には、リスボン大地震発生時の国王ジョゼ1世の騎馬像。
カイス・ダス・コルナス
コメルシオ広場の目の前にある埠頭とちょっとしたビーチ。景色が素晴らしい。
もはや海にしか見えないが一応ギリギリでテージョ川(以下同)。
遊歩道
テージョ川沿いの遊歩道を歩いてアルファマ地区へ向かう。
ここは(例外的に)かなり綺麗に整備されていた。
アルファマ地区
市街地東側の高台に広がるリスボン大地震の被害を免れた地区。歴史ある街並みが随所に見られる。
高台にあるグラッサ庭園という公園からの景色。
歴史と生活感あふれるアルファマ地区の街並み。アズレージョというタイルを使った装飾が街のあちこちに見られる。
ケーブルカー通れるんか。
ポルタス・ド・ソル広場
同じくアルファマ地区とテージョ川の美しい風景を見渡せる広場。
サンタ・ルジア展望台
同じくアルファマ地区とテージョ川の美しい風景を見渡せる展望台。
サンタ・ルジア教会の外壁に施された美しいアズレージョ。レコンキスタ時のキリスト教徒とイスラーム教徒の戦いを描く。
下のアズレージョは、リスボン大地震以前のコメルシオ広場を描く。
サン・ジョルジェ城
紀元前からローマ帝国や西ゴート王国、ウマイヤ朝、ポルトガル王国など様々な時代・様々な民族によって使われてきた要塞。リスボン市内を一望する絶景を楽しめる。
プラハやヴェネツィアに行った時も思ったが、街中の家屋の屋根をレンガ色に統一することの経済効果というかコスパが半端ない。
敷地内には孔雀が闊歩していた。
ちょっとした博物館に展示されていた漫画みたいなタッチのアズレージョ。
いざ入城。
リスボン大聖堂
12-13世紀にロマネスク様式で建てられた大聖堂。度重なる地震によって何度も再建されたため、様々な建築様式が混在している。
カイス・ド・ソドレ地区
市街地西側の沿岸に位置する地区。
リベイラ市場
2014年にリニューアルオープンしたフードコート「タイムアウトマーケット」でよく知られる市場。「タイムアウトマーケット」は雑誌社のタイムアウト社が自治体と共同で手がけるプロジェクトで、リスボンでの成功を機に世界各地に拡大している。日本では2025年に大阪にオープンする予定らしい。
高級志向のフードコードということで、どのお店も価格は地元の飲食店の1.5倍以上だった。
それにしても人気だな。
ビカのケーブルカー
走る3本のケーブルカー路線のうち最も有名なビカ線を見にいく。
風情あふれる坂道を登っていくと、居眠りする猫を発見。
ケーブルカーが走るビカ・デ・ドゥアルテ・ベーロ通り。
いや、めちゃくちゃ落書きされとる。リスボンの民度の低さがうかがえる。
ちなみに民度は本当に低くて、私の経験では今回の旅で訪れた都市の中で最も人種差別が激しかった。街はゴミが多く、道が狭いのに運転が荒い車が多く、列車などのインフラの質が低く、ナポリやアテネと同じような印象だった。
ロシオ広場
バイシャ地区に位置する中世から存在する広場。正式名称はペドロ4世広場。広場周辺の建物の多くはリスボン大地震後に再建された。
ロシオ広場北側の街並み。
ロシオ広場南側の街並み。
フィゲイラ広場
ロシオ広場のすぐ東に位置する広場。ジョアン1世の騎馬像が中央に立つ。
プライア・デ・カルカヴェロス
市街地から西に20kmほどのところにあるビーチ。ここはテージョ川河口の外なので、目の前に広がるのは正真正銘の海。
海に入ってみると、真夏で猛暑日なのにかなり水温が低い。スペインで入った時とは比べものにならない。調べると深層水が海面に上がってくる湧昇という現象がおそらく関係しているらしい。ユーラシア大陸の西端ならではの体験ができた。
ホステルで出会った人々
カナダのブリティッシュ・コロンビア州から来たという女子大学生二人組。
弁護士見習いをしているというイスラエル人女性。
フランスでソフトウェアエンジニアをしているというインド人男性。
NARUTOのTシャツを着ていて自称アニメオタクだというスペイン人男性。