クラクフ滞在記2022
そもそも
2022年8月にクラクフに滞在した時の様子。
クラクフは14-16世紀にポーランド王国の首都として大いに繁栄した、ポーランド南部ヴィスワ川上流に位置する古都。人口は約76万人。ポーランドで最も多くの観光客が訪れる観光都市でもある。第二次世界大戦の戦禍を免れた旧市街は「クラクフ歴史地区」として世界遺産に登録されている。
ざっくりクラクフ史
クラクフは11世紀前半頃まで、スラブ民族国家モラヴィア王国や、現在のチェコを中心としたボヘミア王国の一部だった。11世紀前半頃にポーランド王国ピャスト朝の一部となり、この頃にクラクフはポーランド王国の実質的な首都となったとされる。12世紀前半にポーランド大公ボレスワフ3世が死去すると、遺言状によってポーランドの国土は分割され、それぞれの領土を息子たちが引き継いだ。年長者相続の原則により、長子だったヴワディスワフ2世がク長子領(クラクフ公国)とポーランド大公の地位を引き継いだ。13世紀にはモンゴル軍の侵攻を受けクラクフの街が破壊されたが征服は免れた。
14世紀にはピャスト朝最後の国王カジミェシュ3世が、行政制度や司法制度を整備して中央集権化を実現するとともに、農民やユダヤ人を保護するなどして国力を充実させ、ポーランド王国および首都クラクフは最盛期を迎えた。クラクフでは、市壁内の街にポーランド最古の大学クラクフ大学(現ヤギェウォ大学)や織物会館などが設立され、市壁外にもカジミェシュと呼ばれる街(後に多くのユダヤ人が移り住む)がつくられ、現在も残るクラクフの街の礎が築かれた。
カジミェシュ3世を最後にピャスト朝が断絶し、続くヤギェウォ朝が16世紀後半に断絶すると、国王を貴族から選挙で選出する選挙王制が行われ、1587年に選挙で国王に選出されたジグムント3世がワルシャワに遷都すると、クラクフは国家の中心からは退くこととなった。
18世紀後半のポーランド分割とナポレオン戦争を経て、クラクフは1815年のウィーン議定書によってクラクフ共和国としてオーストリア領内の保護国となった。1846年に独立を目指してクラクフ蜂起を起こしたが鎮圧され、クラクフ大公国としてオーストリア帝国に完全に併合された。
第二次世界大戦中はドイツ軍の占領下に置かれ、旧市街南側のヴィスワ川の対岸にクラクフ・ゲットーと呼ばれるユダヤ人隔離居住区が設置された。このゲットーから多くのユダヤ人が強制収容所に送られた。この地域は映画『シンドラーのリスト』の舞台としても知られる。
スピンオフ
クラクフに到着
ワルシャワから列車に乗ってクラクフ中央駅に到着。
中央駅の隣にあったショッピングモール「Galeria Krakowska」
中央駅前の広場「Plac Jana Nowaka-Jeziorańskiego」
宿泊地へ
とりあえず荷物を置くために宿泊地へ向かう。
旧市街に入る地下道。
旧市街の街並みを眺めながら歩く。
宿泊地は年季の入った建物を利用したアパートの一室。
部屋の窓からの眺めは馬車。
中央市場広場
さっそく街を散策する。
旧市街の中心に広がる中央市場広場。13世紀にモンゴル軍の侵攻によって街が破壊された後に再建され、14世紀にカジミェシュ3世の下で中央の織物会館や市庁舎などが建てられた。
何台もの馬車が列をなしている。
聖ヴォイチェフ教会
11世紀にロマネスク様式で建てられた教会。17世紀にバロック様式で再建された。
市庁舎塔
14世紀にゴシック様式で建てられた、かつての市庁舎に付属していた塔。市庁舎の塔以外の部分は19世紀前半に取り壊された。
織物会館
14世紀にゴシック様式で建てられた織物などの輸入品の取引所。広場中央にどーんと構える。16世紀に焼失し、ルネサンス様式で再建された。内部は市場になっており、雰囲気は中東地域のバザールを彷彿とさせる。
アダム・ミツキェヴィチ像
ポーランドを代表する詩人アダム・ミツキェヴィチの像。
夜の様子
夜も大勢の人々で賑わう。
馬も夜まで働かされて大変だな。
聖マリア聖堂
13世紀にゴシック様式で建てられた聖マリア聖堂。戦争や地震によって何度も破壊され何度も再建された。
13時57分に聖堂前に来たところ、そこにいた多くの人々が聖堂の上の方を見ていたので、私も同じように待機していると14時になり聖堂の塔の上部でトランペット演奏が始まった。しかしその演奏は30秒ほど経った中途半端なところでプツっと終了した。調べると演奏は意図的に中断されており、それは13世紀にモンゴル軍が侵攻してきた時にそれを警笛によって知らせていたラッパ吹きが射殺されたという逸話に由来するらしい。
聖堂内部が隙間なく激しく装飾されていて、プラハやブダペストで訪れたシナゴーグや聖堂の内装に似ている気がする。ユダヤ人に関係する歴史的な理由がありそう。
15世紀にドイツ出身の彫刻家ファイト・シュトースが制作した壮麗な祭壇彫刻。後陣のステンドグラスも素晴らしい。
旧市街
旧市街を散策する。旧市街は北端から南端まで走って5分かからないぐらいこぢんまりしている。
聖フロリアヌスの門
14世紀にゴシック様式で建てられた門塔。旧市街の北端に位置する。
旧市街を囲む防御壁の一部となっている。
バルバカン
15世紀にゴシック様式で建てられた赤レンガ造りの砦。旧市街の最北端に位置する。
新市街
旧市街の北側周辺を散策する。
グルンヴァルト記念碑
1910年にグルンヴァルトの戦い(第一次タンネンベルクの戦い)の500周年を記念して建てられた記念碑。中央にあるのはポーランド王ヴワディスワフ2世の騎馬像。
クレパルスキー市場
クラクフで最も歴史があるとされる市場。風情ある市場らしい市場。
再び旧市街
再び旧市街に戻って散策する。
聖マルコ教会
13-14世紀に建てられた教会。火災によって何度も焼失し再建された。
聖ペテロ聖パウロ教会
16-17世紀にバロック様式で建てられた教会。
聖アンドリュース教会
11世紀にロマネスク様式で建てられた教会。要塞機能を備えた珍しい教会。13世紀のモンゴル軍の侵攻にも耐えたとされ、クラクフに現存する最古の教会の一つ。
聖三位一体聖堂
13世紀にゴシック様式で建てられた聖堂。19世紀に発生したクラクフの大火によって焼失し再建された。
聖フランシスコ教会
13世紀にゴシック様式で建てられた教会。モンゴル軍の侵攻で破壊され再建された。
コレギウム・マイウス
14世紀に建てられたクラクフ大学(現ヤギェウォ大学)の中で最も古い校舎。ポーランド出身の偉大な天文学者ニコラウス・コペルニクスが学んだ場所。
入口ホール。
図書室として使われていた部屋。
食堂や集会場として使われていた部屋。
天文学またはコペルニクスにまつわる貴重な品々が展示されている宝物室。
天文学者や占星術者が使用していた天体観測用の機器、平面アストロラーベ。左上のアストラーべにはアラビア語が刻まれており、11世紀にスペインのコルドバで使用されていたとされる。
コペルニクスの手稿『天球の回転について』の複製。
コペルニクスの生誕500周年を記念して寄贈された、宇宙飛行士ニール・アームストロングの署名入りの地球写真。
講義室として使われていた部屋。
コペルニクス先生の像。
ヴィスワ川
旧市街の南を流れる穏やかで美しいヴィスワ川沿岸。
近くに気球と小さな遊園地を発見。
気球飛んでて観覧車あってお城もあって夢の国みたいな風景。
日本美術技術博物館
日本の美術品を展示し日本文化を紹介する美術館。20世紀の美術蒐集家フェリクス・ヤシェンスキが日本の美術品を国立クラクフ博物館に寄贈したのがきっかけ。
チャルトリスキ美術館
19世紀に貴族のイザベラ・チャルトリスカ公爵夫人が設立したポーランド最古の美術館。火曜日はたまたま無料開放日だった。ヨーロッパでたまにあるこの無料開放日制度は素晴らしい。
バリツェ空港
市内から空港まで列車で15分ほど、料金も500円ほどでかなりアクセスがよかった。空港もかなり綺麗だった。