アテネのアクロポリスに行ってきた
そもそも
アテネ滞在記2022のスピンオフ。
アクロポリスは、古代ギリシャのポリスにおいて宗教的中心または軍事要塞として機能していた小高い丘のこと。アテネのアクロポリスは最も有名なアクロポリスで、世界遺産に登録されている。
アテネのアクロポリスには紀元前6世紀頃から神殿が建てられていたが、紀元前5世紀初頭に勃発したペルシャ戦争で破壊されたとされる。ペルシャ戦争で勝利したアテネは、名将ペリクレスの下で黄金時代を迎え、その頃にアクロポリスが再建され、街の守護神アテナを祀るパルテノン神殿などが建てられた。
アレオパゴス
アクロポリス北西の中腹にある小高い丘。かつて貴族たちの会議所や裁判所があったとされる場所。アクロポリスへ向かう途中で立ち寄れる。
アテネの街並みとアクロポリスを一望できる。
プロピュライア
アクロポリスへの入口として機能したプロピュライア。
プロピュライアを抜けたところ。
なんか色々と修復工事中だった。おそらくいつ来てもそう。
パルテノン神殿
パルテノン神殿は街の守護神アテナを祀るドーリア式の神殿。紀元前5世紀のアテネ黄金時代に建設された。ビザンツ帝国支配時代には教会として使用され、オスマン帝国支配時代にはモスクや軍施設として使われた。1687年にオスマン帝国に敵対するヴェネツィア共和国軍がアテネを包囲した際には、弾薬庫があったパルテノン神殿は爆撃と爆発によって破壊された。19世紀初頭にはオスマン帝国駐在大使を務めていたイギリスのエルギン卿が、東正面のペディメント彫刻をはじめパルテノン神殿の多くの彫刻を「美術品」として切り取って買い取り、イギリス政府に売却した。背景にはフィルヘレニズム(ギリシャ愛護主義)があったと思われる。その彫刻群は「エルギン・マーブル」と呼ばれ、現在もロンドンにある大英博物館に展示されている。ギリシャ政府が返還を要求したがイギリス政府は拒否した。
外縁には上部がやや細く中間部がふっくらとしたエンタシスと呼ばれる柱が正面に8本、側面に17本の柱が並んでいる。元々は屋根があったが残っていない。柱の上の東西正面のペディメントや屋根下部の四面のメトープに施されていた彫刻も残っていない(アテネやロンドンの博物館に展示されている)。
アテネの街並みを望む。
フィロパポスの丘と海を望む。
エレクティオン神殿
エレクティオン神殿はアテナ、ポセイドン、エリクトニオスを祀るイオニア式の神殿。紀元前5世紀末に建てられた。
南側にある6体のカリアティード(女人像柱)が最も特徴的。このカリアティードは全てレプリカで、オリジナルは5本がアクロポリス博物館、1本が大英博物館に展示されている。
北側にある格間天井を備えたポルティコ(列柱ポーチ)。
東側には典型的なイオニア式の柱が並ぶ。
アテナ・ニケ神殿
翼がないアテナ像を勝利の女神ニケ(本来翼がある)として祀ったイオニア式の神殿。紀元前5世紀後半に建てられたが、前述したヴェネツィア軍による砲撃によって破壊され、20世紀に再建された。プロピュライアの隣にある。
麓
アクロポリスの南西麓にあるヘロディス・アッティコス音楽堂。2世紀のローマ時代にギリシャ人元老院議員ヘロディス・アッティコスによって建設された。
アクロポリスの南麓にあるアスクレペイオン(医学の神アスクレピオスを祀った神殿)。紀元前5世紀後半に建てられた。
アクロポリスの南壁。
何か洞窟らしきものがあった。
アクロポリスの南東麓にあるディオニュソス劇場。紀元前5-4世紀に建設された。ディオニューシア祭の会場として使用され、悲劇や喜劇が演じられたという。
アクロポリス博物館
アテネのアクロポリスから出土した文化財を中心に展示している考古学博物館。2009年に旧アクロポリス博物館に代わって開館した。
古代ギリシャの陶器群。
フクロウが彫られた座席の一部(紀元前4世紀頃)
2階のギャラリーへ。2階のアルカイックギャラリーは写真撮影禁止だった。
エレクティオン神殿のカリアティードのオリジナル5体。
4階のパルテノンギャラリー
パルテノン神殿の西側ペディメントの再現。
パルテノン神殿の東側ペディメントの再現。
パルテノン神殿のペディメントやメトープにあった彫刻の数々。実際の方角と位置と同じように展示されている。白くて新しそうな部分はレプリカ(オリジナルは大体ロンドンの大英博物館にある)。
パルテノンギャラリーから望むパルテノン神殿。