ギリシャの歴史をまとめてみた
そもそも
ちょっとややこしいギリシャの歴史をざっくりまとめてみた。
マケドニア王国時代
ギリシャ最大のポリス(都市国家)の一つだったアテネは、紀元前4世紀にカイロネイアの戦いで北方に興ったマケドニア王国に敗北し、マケドニア王国の支配下に置かれた。この頃からギリシャ文化とオリエント文化が融合したヘレニズム文化が発展し始めた。
ローマ時代
紀元前2世紀にローマがマケドニア戦争でアンティゴノス朝マケドニアを滅ぼすと、アテネはローマの属州となった。その間ギリシャの言語や哲学や芸術はローマの文化に大きな影響を与え続けた。
ビザンツ帝国時代
4世紀末にローマが東西に分裂すると、ギリシャはコンスタンティノープルを首都とした東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に属することになった。これによりギリシャの宗教は、ギリシャ正教会がカトリック教会に対して優勢になっていった。アテネでは6世紀にアカデメイアが閉鎖され、古代から続いてきたギリシャ文明が一旦幕を閉じた。
オスマン帝国時代
11世紀以降十字軍が活発化すると、十字軍国家であるアテネ公国が成立した。15世紀にビザンツ帝国とアテネ公国はオスマン帝国に滅ぼされ、以後350年以上ギリシャ全土がオスマン帝国の支配下に置かれることになった。アテネはオスマン帝国の支配下で急速に衰退していった。
ギリシャ独立戦争
19世紀前半、フランス革命やナポレオン戦争の影響によってギリシャで独立機運が高まり、オスマン帝国に対するギリシャ独立戦争でイギリス・フランス・ロシアの支援を受けて勝利したギリシャは、ギリシャ王国として独立した。数年後、アテネはギリシャ王国の首都となり復興に向かった。1896年にはアテネで近代オリンピック第1回大会が開催された。
第一次世界大戦とギリシャ=トルコ戦争
第一次世界大戦時、ギリシャは当初中立を保っていたが結局イギリスの圧力によって連合国側で参戦した。結果的に戦勝国となったギリシャはパリ講和会議で、敗戦国オスマン帝国が領有するギリシャ人居住地域の割譲を要求したが認められなかったため、1919年オスマン帝国領のスミルナ(イズミル)に侵攻し、ギリシャ=トルコ戦争が勃発した。イギリス軍の支援を受けたギリシャ軍はアンカラ近くまで進軍し、その間の1920年に締結されたセーヴル条約によってスミルナの管理権を得たが、セーヴル条約に反発したムスタファ・ケマル率いるトルコ国民軍が形勢逆転し、1922年にギリシャは敗北した。1923年に締結されたローザンヌ条約によってギリシャは小アジアの領土を全て失った。またトルコ共和国との間で信仰する宗教を基準にした大規模な住民交換を強制的に行い、多くの悲劇とアテネの人口増加を招いた。
第二次世界大戦とアメリカの介入
第二次世界大戦時、ギリシャは枢軸国軍に占領されたが、共産党が組織しイギリスとソ連が支援したレジスタンスが抵抗を続けた。戦後はイギリスが占領し王政の復活を画策したが、それに対しても共産党勢力が抵抗を続け、ギリシャは内戦状態となった。内戦に手を焼いたイギリスが撤退すると、代わって共産主義の拡大を防ぐためにアメリカが介入し、軍事力によって内戦を終結させ、王政を復活させた。これによりバルカン半島にあって唯一ギリシャだけが戦後にソ連指導下の共産主義時代を経験しなかった。
ギリシャ共和国
その後軍事政権を経て、1975年に共和政となり、現在も続くギリシャ共和国が成立した。1981年にヨーロッパ共同体(EC)に加盟し、1993年にヨーロッパ連合(EU)が成立した際には12カ国の初期加盟国の一つだった。2001年にはユーロを導入した。2004年にはアテネで夏季オリンピックが開催された。2009年10月にギリシャの国家財政の粉飾決算が明るみに出たことに端を発して、2010年にギリシャ経済危機およびユーロ危機が発生した。