ベルリン滞在記2022
そもそも
2022年6月にベルリンに滞在した時の様子。
ベルリンはドイツの首都で、名実共にドイツ最大の都市。人口は約365万人(横浜市と同じくらい)。15世紀にブランデンブルク選帝侯がベルリンに宮廷を置いたことが都市として発展する契機となった。
スピンオフ
ベルリン中央駅
割と近代的なつくりをしていて、店も多い。入口は喫煙所のど真ん中くらいタバコ臭い。
中央駅周辺も近代的な建物ばかり。
シュプレー川
中央駅から歩いてすぐのところに流れるシュプレー川。
中央駅の喧騒から一変してのどかな雰囲気が流れる。
Platz der Republik
中央駅からシュプレー川を超えて直進すると見えてくるのがPlatz der Republikという広場というか公園で、政府系機関が立ち並ぶ。
国会議員のオフィスなどが入るPaul-Löbe-Haus。
国会議事堂。
パリ広場周辺
国会議事堂から南に少し歩いていくとパリ広場が見えてくる。
記念碑や大使館などが立ち並ぶパリ広場の中でもひときわ目立つのが、250年以上にわたる歴史をもつブランデンブルク門。1734年にプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世が、元々あった要塞の代わりに市街地全体を取り囲むベルリン税関壁を建設しその税関壁の出入口の一つとして建設された。
この門から東に向かうとUnter den Lindenという大通りを通って民族学博物館や美術館などが入るフンボルトフォーラム(元ベルリン王宮)に至り、西へ向かうと即巨大公園ティーアガルテンに入る。
ティーアガルテン
というわけで西へ向かうことにしたが、あまりに広すぎたのでヨーロッパに来て初めての電動キックボードに乗ってみることに。めちゃくちゃ快適だったので、以後乗りまくることになる。
しばらく走ると、プロイセンがデンマークとの戦争に勝利したことを記念する戦勝記念塔が見えてくる。
カイザー・ヴィルヘルム記念教会
ティーアガルテンの南西に位置するカイザー・ヴィルヘルム記念教会。
1943年に英国空軍のベルリン空襲によって炎上し、その後戦災記念碑として残されることになった旧教会堂。
1961年に完成した新教会堂の外観。全く教会っぽくない。
内部は映画のセットのようで、黒幕のアジト感満載。
映画感をパイプオルガンの重低音がますます引き立てる。
ベルリンの壁
ベルリンの壁は街のいたるところに。
ポツダム広場
近代的なビルが立ち並ぶポツダム広場にも。
テロのトポグラフィー
ナチスの歴史を伝える博物館の目の前にて。
チェックポイント・チャーリー
東西分断時代にアメリカ統治領域とソ連統治領域の境界部分にあった関所。向こう側はアメリカ統治領域。
イーストサイドギャラリー
市街中心部から東に行ったところにあるイーストサイドギャラリー。現存するベルリンの壁の中では最も長い壁だという。
ベルリン大聖堂
ターコイズ色のドームが印象的なベルリン大聖堂は博物館島に位置する。手前は芝生公園になっており市民で賑わう。
内部はバロック様式っぽい豪華壮麗な装飾が隅々に施されている。
ドーム内部も豪華。
数百段の階段を登るとドーム下から市内を展望できる。
赤の市庁舎
1860年代に建てられ、東西ベルリン時代には東ベルリン市庁舎として使用されていた建物。冷戦時代以前に建てられているので赤=社会主義・共産主義みたいな話ではなさそう。
内部はルネサンスっぽい雰囲気。
テレビ塔
街のいたるところから見える高さ368mのテレビ塔。一目見た瞬間になぜか東側の建造物っぽさを感じさせる。
アレクサンダー広場
テレビ塔の麓に広がるアレクサンダー広場には飲食店や映画館が立ち並ぶ。
私が訪れたときは、ゴミが散乱し、噴水でアラブ系の子どもたちが全裸で水浴びしている横で、若者がKPOPの音楽にあわせてダンスしている横で、青年たちがバレーボールをしている横で、大の成人男性がもう一人の成人男性を全力疾走で追いかけていて(盗難っぽい?)路面電車に轢かれそうになっていて、さらにその二人をローラースケートを履いた(なぜ履いてる?)もう一人の成人男性が追いかけていたりして、まさにカオスと形容するにふさわしい広場だった。
カリーヴルスト
ベルリン名物カリーヴルスト。輪切りにしたソーセージにケチャップをぶっかけてその上からカレー粉をかけただけの大味な食べ物。
Curry 61にて。
ベルリン中央駅にて。
行ってわかったこと
標識や案内に英語表記がないことが多かった。
アラブ系移民とケバブ料理屋が想像の何倍も多かった。
横断歩道の信号が点滅なしで急に青から赤に変わり、その瞬間に人を轢きたいんかってぐらい車が思い切り加速してきて全く止まろうとしないのが危険だった。電話しながらまたはスマホを見ながら運転している人も尋常じゃなく多かった。
いずれもベルリンに限らずドイツで訪れた全ての都市に大体当てはまる。
ホステルで出会ったアイルランド人大学生たち
ベルリンで泊まったホステルで、全員nerd(オタク)と自称するアイルランド人大学生4人組と同部屋になり、初日の夜から一緒に飲み行くほど仲良くなった。ところが2日目の朝からそのうち二人が完全にダウン(一人は靴ずれが原因で細菌に感染、一人は煙草吸いすぎて頭痛)し、さすがnerdと自称するだけあって身体の弱さを露呈していた。そのせいで彼らは二日間(しかも金土でクラブに行く予定だった)を棒に振ってホステルでじっとしていたらしくめちゃくちゃ落ち込んでいた。部屋の空気が重すぎて同じ部屋にいるのがめちゃくちゃストレスだった。
色々話を聞いていると、細菌感染でダウンした子はアイルランド育ちだが、両親がスコットランド人で生まれもスコットランドでパスポートもスコットランドらしく、アイデンティティはアイルランド人なのにUKのEU離脱によってEU市民ではなくなったので不便を被ることがあると言っていた。ちなみに彼の母親はイタリア生まれなので毎年イタリアのトスカーナ地方に行くらしい。頭痛でダウンした子は交際中の彼女がルクセンブルク人だけど今はドイツのボンに住んでいるので大学卒業後は自分もドイツに住むかもしれないと言っていた。その彼の母親はスペイン生まれなので毎年マドリードに行くとも言っていた。
こういう話を聞くと、ヨーロッパは日本の奈良人と福岡人が交わるような感覚で様々な国籍の人同士が普通に交わっているということを実感するとともに、ちょっとした羨ましさを覚えた。
ホステルで出会った人々
上述のアイルランド人大学生4人。
ドイツにいる友人に会いに来たというブラジル人中年男性。大学で言語学を研究しているという。