「言語化」という言葉が市民権を得てきた話

最近、「言語化」という言葉が急激に市民権を得てきているように感じます。

これまで、「なんと言えばいいかわからないんだけど」とか「うまく言葉にできないんだけど」と言いたくなる状況における、「言葉にするという行為」を、「言語化」という言葉が、この上なく「うまく言語化」したからだろうと思います。

「うまく言語化」したとは

  • そのまま名詞として使用できる。他の類義表現は「こと」をつけないと名詞として使用できない。例)「彼は言語化が上手だ。」、「彼は〇〇を言葉にすることが上手だ。」 
  • 目的語がなくても使用できる。他の類義表現は原則目的語が必要。例)「彼は言語化が上手だ。」 、「彼は〇〇を言葉にすることが上手だ。」 
  • または名詞化すると他の類義表現と比べて文字数が少ない。例)「言語化(3文字)」、「言葉にすること(7文字)」
  • 漢語で語呂がいい。
  • 初聞で意味がわかる。
  • TwitterをはじめとするSNSで多数の個人が文字で発信するようになり、「うまく言語化」できる人がより明示的に評価されるようになり、「言語化」能力が重要視されるようになった時代。
  • 「言葉にする」や「言い表す」に付随する感情的な意味や記憶が、付随しない。(「言葉にする」や「言い表す」は感情を表す表現とともに否定形で用いられることがほとんど。例)「この気持ちを言葉にできない」や「この感動は言葉では言い表せない」)

言語化 =「うまい言語化」

ただ言葉にするだけでは、言語化するとは言わないようです。「これ、マジヤバイ。」も感情を確かに言葉にしているが、これは言語化できているとは言いません。 つまり言語化の定義は「うまく言葉にすること」であり、うまいか否かは、その言語化を見た・聞いた人の主観的判断によります。

そのため、「うまく言語化する」というと、「後で後悔する」と同じパターンに陥るので、揚げ足を取られないように気をつける必要があります。

言語化した内容が極端にならざるを得ない場合

言語化は極端にならざるを得ないことがしばしばあります。

  • 大前提1:言語はこの自然世界を記述するには限界があります。
  • 大前提2:同一言語話者の間でもそれぞれの言葉の意味は少しずつ異なり、完全一致し得ません。

極端にならざるを得ないのは、真に表現したい内容が直接的に(正確に)言語化できない場合に、その内容の極端バージョンならば言語化できるので、真に表現したい内容は、その極端バージョンの0.5倍である、というように便宜的に表現できます。元を二倍して、表現したものを半分にするイメージです。

頑張って何かを説明しようとしている人は、言語の限界に挑戦している人です。極論だと言わず、優しくしてあげてください。

言語化の副作用

恋人の好きな部分をいくつか言語化すると、言わない部分は好きではないことになることがある。

結論

「言語化」が市民権を得てきてヤバい。