言語の恣意性

言語は偶然

言語は偶然の産物です。

そしてその音と意味の間の繋がりも全くの偶然に過ぎません。犬のことを日本語でなぜ[inu]と呼び、英語では[dog]と呼ぶのでしょうか。答えは、「理由はない。たまたまそうなっただけ。」です。つまり、最初に誰かがそう呼んで、その周りの人も同じように呼び始めて、次第にコミュニティ内に広がっていったのでしょう。

このように、ある単語の音声と意味の関係は恣意的です(論理的な必然性がありません)。これを言語の恣意性と言います。

方言と言語

若干話題は変わりますが、恣意性に関連して。 方言と言語の違いは何でしょう?

沖縄の琉球方言といわゆる日本の標準語である東京方言は、お互いが全く理解できないほど言語の音やルールが異なります。しかし沖縄の方言は「方言」と呼ばれるため、あくまで日本語の一種類のように感じます。

一方、スペイン語とポルトガル語は、お互いに一部理解し合えると言われるぐらい似ている部分がたくさんあります。しかし、「〇〇語」と呼ばれるために、全く異なる言語のように感じます。

結論から言えば、方言と言語の間には本質的な違いはありません。ただ、国家が「恣意的に」そう呼んでいて、私たちはそう教わったから、そう感じているだけです。