パリ発祥の地シテ島に行ってきた
そもそも
パリ滞在記2022のスピンオフ。
シテ島は、サン=ルイ島と並ぶセーヌ川の中州。紀元前からケルト民族の一つパリシイ族が集落を形成していたとされ、パリ発祥の地とも言われる。島の名は、5世紀末にパリを征服したフランク族の王クローヴィス1世が島を「シテ」(首都)と宣言したことに由来する。
シテ島から眺めるサン=ミッシェル橋。船デカい。
ノートルダム大聖堂
シテ島の東側に位置する、12-13世紀にゴシック様式で建設されたパリの司教座聖堂。この場所にはかつてパリシイ族やローマ人の神殿があったとされる。フランス革命期には宗教に批判的な民衆によって破壊・略奪され荒廃したが、その後ナポレオンが大聖堂で戴冠式を行ったり、作家ヴィクトル・ユゴーが発表した『ノートルダム・ド・パリ』で大聖堂の価値が再発見されたりしたことで、修復される運びとなった。2019年に大規模火災が発生し、それ以来閉鎖されている。
地下遺跡
かつてシテ島に居住していたガリア人やローマ人たちが築いた建造物の遺跡。
サント・シャペル教会
13世紀にカペー朝の国王ルイ9世の命によってゴシック様式で建設された2階建ての教会。
1階の礼拝堂。ルイ9世の像が配置されている。
2階の礼拝堂。創世記からキリスト復活までの聖書の物語を表現したステンドグラスが覆う。この世のものとは思えない圧巻の美しさ。
コンシェルジュリー
元々この地にあった古代ローマ時代またはフランク王国時代の城塞を、10世紀以降に改築して王宮を建てたのが起源。14世紀頃までカペー朝の王宮として使用され、その後は次第に裁判所や牢獄として使用されるようになった。フランス革命期には王族や貴族などの旧体制派が多数投獄され、かのマリー・アントワネットもギロチンで処刑されるまでここに投獄されていた。
兵士たちの食堂だったという衛兵の間。
女性囚人が生活することを許されていたという中庭。
ドフィーヌ広場
シテ島の西側に位置する、17世紀初頭に国王アンリ4世によって建設された三角形の公共広場。パリっぽい。知らんけど。大阪のアメ村にある三角公園とは大違い。
フランス発祥の球技ペタンクを楽しむ人々。
ポンヌフ
16-17世紀に国王アンリ3世とアンリ4世の下で建設されたシテ島の西側にかかる橋。パリに現存する最古の橋でもある。
ポンヌフから東側を眺める。
ポンヌフから西側を眺める。エッフェル塔が見える。